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《プロポーズ》
「不思議な生き方」
10ヶ月ぶりに仕事に戻った。
キュルキュルまわるテープレコーダの音が懐かしかった。何もかも新鮮だった。ほこりっぽいスタジオの空気でさえ、疲れていたときには雑音に聞こえていた音が、生き生きと響いていた。もう一度やれる。新しい何かが見つかりそうだった。私は自分の体を気づかい、食べ物を気にしながら、与えられた仕事を楽しんでいた。失敗したら、またやりなおせばいい。そう思ったら、肩の力がぬけて気が楽になった。不規則な時間を避けて、なるべく昼間の時間帯の仕事に変えてもらった。食事と仕事と睡眠と、そのバランスを十分に考えて働くようになった。
父が亡くなってから、小松にいる間、月に一度か二度、山崎君が見舞いにやってくるようになっていた。時間があるときは、映画をみたり、今まで読んだ本のことを話し合った。物の見方や考え方が私たち二人を合わせると、物の二面体のようだった。両方の見方や考え方を合わせるとちょうど、一つのものが見えてくる。物事に行きづまって悩んでいるとき、自分自身の出口を見つけるには最適の相手だった。黙っているときは、いつまで黙っていても平気だったし、しゃべりたいときはいつまでもしゃべっていた。だれといるより気が楽で、一緒にいるとほっとした。不思議な友達だった。
大学時代、山崎君と一緒に映画を撮ったことがあった。大学闘争の最中、恋愛か革命か、バリケードの内側で自分の人生を語っていた先輩たちの中で、恋愛に闘争に、アルバイトに、教育実習にと、何でもあたりまえのように受け入れて、人生をおおらかに享受しているような先輩がいた。そんな先輩を通して大学とは何なのか、政治とは何か、教育とは何なのか、青春の生きざまを描こうとしたものだった。
山崎君はカメラ、私は音、数人の仲間たちで、先輩を追い始めた。好きな女の人と一緒に暮らし、今日はデモ、明日は土方、明後日は家庭教師。前日はかつて教育実習で教えた子供たちが修学旅行にやってきて先輩のまわりから離れない。そんな姿をカメラにおさめ、言葉を録音していく。
大学とは、大勢の人と人とのぶつかり合いの中で、まさに生まれ育った環境の中で築かれた個人と個人のとらわれの意思を解放し、新たに、物の見方や考え方を再構築していく場だった。そのための学問であり教育だった。そのことを先輩に取材する中で感じさせられていったのだが、撮影も終了段階に入ったある日、突然山崎君が学校へ来なくなった。だれに聞いても消息がわからない。先輩も知らないという。
大学を地域に開放することと学問の自由等を求め、大学立法に反対した学生たちの運動も下火になり、半年ぶりに授業が再開された。久しぶりに学校へ出かけると、キャンパスがやけに騒がしかった。裏門の向こうに装甲車が並び、学生たちが騒いでいた。教育学部の授業中、突然機動隊が教室に入り込んできて、数名の学生を捕まえていったのだという。
学部長の授業のときに、学生たちが今まで提出した大学の問題を、どのように受けとめているのか、解決したのか、話し合いの場を持って答えてもらいたいと数名の学生が申し出た。学部長は彼らの話も聞かず、理由も言わず、警察に通報し、機動隊を教室に入れ、大勢の学生の前で彼らを有無を言わせずに連行させてしまったのだった。大学が自らの努力と工夫で問題解決することを放棄し、警察の力で学生たちを取り締まるようになってしまったのだ。全国の学生たちが反対していた大学立法とはそういうものだった。
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