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■山崎洋子&一之 さん 
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(2/16)

「いがぐり頭の青年」

 そんなある日、収録を終えてテープをダビングしていると、後輩の山越君が、久しぶりに大学時代の友人の山崎君を連れて訪ねてきた。山崎君は学生時代と同じようにいがぐり頭に、青いちゃんちゃんこを着て、黒い鼻緒のほおばをひっかけて、カラコンカラコン歩いてきた。日に焼けて真っ黒になった顔をにこにこさせて、私の顔を見ると、「よう!」と言った。
 久しぶりだった。いつの間にかキャンパスからいなくなって二年ばかり経っている。あれからいったい何をやっていたのと尋ねると、彼はいがぐり頭をボリボリとかいて言った。
 「まあ、いろいろと・・・・」
 万博の通訳をやっていたり、土方をしていたりしたのは知っていたが、今は福井の山の中で牛飼いのまねごとをしているのだという。
 「牛飼いのまねごと?」
 思わずそう言うと、
 「ああ・・・・」
 彼は豪快に笑った。
 山の中の一軒家で、牛飼い農家の手伝いをして暮らしているのだという。これから新しく百姓になって自分も牧場を始めるのだが資金が足りない。牛や土地を買うために資金カンパを募って友人たちをまわって歩いているという。
 眉も黒く太く、目鼻立ちがくっきりして以前より何だかたくましくなったようだった。日焼けした赤黒い顔に刻まれた、額の深いしわをほころばせて彼は言った。
 「牧場を開いて、軌道に乗ったあかつきにはカンパしてくれた友人に、会員になってもらって、ジャガイモやタマネギなど、とれた野菜を送るから」
 今でこそ会員制で野菜を送ってもらったり、牧場のオーナーになったりいろいろあるが、今からニ十年前(1970年)はとてもそんな優雅な時代ではなかった。東京オリンピックが終わって、減反が始まったところである。田舎の人々は、便利な生活を求めて、若者たちは他の職業にあこがれて、都会へ都会へと出ていった。
 先日ニ十数年ぶりに高校の卒業名簿を見せてもらったら、五百人 いた同級生の中で農業従業者はたった二人。一人はもともと農家の息子さん。そしてもう一人はまるっきり関係のなかった私。あんなに農家の長男や長女の友達がいたけれど、みんな他の職業についたり、田舎を離れたりしていた。農業をやめる人はいても、新しく始める人はほとんどいなかったのだ。
 この人、いったい、何を考えてるのかしらと私は思った。
 山崎君と最後に会ったのは、その二年ほど前のことだった。
 大学の古い権威主義の体質を打ち破り、地域に開かれた大学をめざして、学問の自由、研究の自由、大学の自治を叫んだ大学闘争の中で、学生たちは、当時、国会に提出された大学立法(大学の運営に関する臨時措置法等)に反対し、 大学解体を叫んで日本中のキャンパスを嵐の中に巻き込んでいった。私たちの大学も例にもれず学内はバリケードでおおわれ、キャンパスはアジテーションや学生たちのデモの声が飛び交い、けん騒の中に包まれていた。学部では自主講座が開かれ、クラス討論やサークル討論が行われた。大学の講義は閉鎖され、学生たちはデモに、アルバイトに、討論に、それぞれの日々を送っていた。

 そのキャンパスにようやく静けさが戻ったとき、彼は言った。
 「俺はもう、大学で学ぶことは何もなくなった。今日限りこの学校をやめる。やめて旅に出る」
 人気のないキャンパスには木枯らしが吹いて、赤く色づいたつたの葉がカサコソと舞っていた。「全共闘、大学立法粉砕、大学の自治を守れ」ストライキの立て看板の紙が破れ、赤い文字がパタパタとあおられていた。昨日までデモっていたのがまるでうそのように、先輩や仲間たちは卒論や教職、そして就職を目前にひかえ、会社訪問や就職試験に忙しく走りまわっていたが、大学をやめてこれから旅に出るという彼の頬は上気していた。
 あれから、もう二年。
 「何でわざわざ山の中で、牛飼いやるの」
 私が尋ねる。
 「都会生活というのは。お金さえ出せば欲しいものが何でも手に入る。電車に乗れば行きたいところへどこへでも運んでくれる。ボタンを押せば明かりがつくし、蛇口をひねれば水が出る。スイッチをまわせばガスが出るし、火もつく。何もかもがありすぎて、自分がほんとうに何が欲しいのか、何がしたいのか、わからなくしてしまう。


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