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「風変わりな生活」
夏が過ぎて秋風がここちよいころになると、ひとりでに体が動きだすようになった。仕事に戻るときがきていた。東京へ行く前に、人生を味わって生きる、という生活がどんなものなのか、のぞいてみることにした。
かつて夏になると、友達や家族で出かけた海水浴場や東尋坊のある福井県・三国町。配達をたどりながら小松駅から電車に乗った。足原温泉駅で降りて、バスに乗り換えて三国へ。三国の駅から陣ヶ岡に向かって歩く。踏切を渡ってだらだらと続く長い坂。休み休み歩き続けて一時間余り、陣ヶ岡の坂を上りつめると、林の中に東尋坊の気象台の丸いレーダーの白い建物があった。近くの畑で草取りをしていたおじさんに道を聞いた。レーダーを右手におれて坂を下り、左手の林の中に入っていった。一軒の牛舎の前を曲がると、目の前がパッと開け、眼前に海が見えた。片手には白山連峰の山々が広がり、まるで絵に描いたようなのどかな景色だった。野バラと木イチゴの茂みの林の中の道を奥へ奥へと入っていくと、切り開かれた山の斜面に、ポツンと一軒の牛小屋と、手堀りの井戸、そして小さな家が建っていた。
坂道を下りていくと、丸太で囲った運動場の中の泥の中に、大きな黒い牛が数頭、尻尾をぶらんぶらん揺すって蝿を追いながら、もの珍しそうに寄ってきた。首をしゃきっと立て、赤いとさかを揺らしながら雄鳥が偉そうに歩いていた。そのそばでコッコ、コッコと鳴きながら雌鳥たちがみみずをついばんでいる。
赤いトタン屋根の小さな家の玄関を探していると、後ろから、やあ、という声がした。白いワイシャツのすそを結んで、水色のステテコをはいた彼が、にこにこ笑いながら立っていた。
小さな縁側のある玄関に入ると、あわてて敷きっぱなしのふとんをくるくると巻いて座る場所をつくり、座ぶとんをすすめてくれた。台所で湯を沸かすと、コーヒーカップに茶こしをのせて、お茶っ葉を入れ、なみなみと熱い湯を注いだ。
窓から飛び込んだ銀蝿が天井を飛びかいブンブンうなっている。柱の隅を子ネズミが走っていった。コキブリが立ち止まってひげを揺らす。長い足のカマドウマが向こうの部屋へ三段跳びで飛んでいった。畳のへりを列をつらねて山アリが通り過ぎる。蝿叩きを取り出して、皿の上のせんべいに止まろうとする蝿を叩く彼を、縁側で寝そべっている大きな三毛猫が横目で眺めていた。なるほど、人生を味わうとはこういうことかと思った。ネズミを見ればネズミとりを仕かけ、ゴキブリがいれば即つぶし、蝿がいればフマキラー、蚊がいれば電気蚊とりやキンチョール、何もかも都合の悪いものは目の前から取り除き、殺してしまう都会の生活からはほど遠い。それぞれの生き物たちのしぐさに見とれていると、
「あいつらのほうが俺たちより先に住んでいたんだから、俺たちのほうが侵入者だよ」
彼は、蝿叩きをふりまわして笑った。
台所のやかんのお湯が沸いている。ポットに入れようと思って台所へ立った。しきいをまたいだとたん、ふわっと風が吹いた。何か黒いものがおでこにびちゃっとくっついた。あわてて引きはがしたら、黒い蝿のいっぱいついた蝿取りリボンだった。ねばっこいのりのあとと、黒い蝿が気持ち悪くて、顔を洗おうと流し台を見ると、傍らの茶碗かごは蝿で真っ黒。手を伸ばして払おうとしたら、ウワァーンと天井に舞い上がった。台の下のポリバケツのくみおき水で、きれいに茶碗を洗い直して、ふきんをかけた。が、しばらくすると、ふきんの上も蝿で真っ黒になった。
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