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《虚構の世界》
「突然の病」
慣れてしまえばそんなものかもしれないが、限られた時間の中で、次から次へと小刻みに神経を働かせ、時間に追われ、番組を作る仕事は、不規則な仕事だった。仕事が不規則になると、生活のリズムも、食事時間もそれにつれて不規則になる。
朝は時間ぎりぎりまで眠り、パンにバターをぬって、牛乳を飲むと、リンゴをかじりながら飛び出していく。昼は近所の食堂で、時間を見ながらラーメンや、うどんかそばをかっ込む。せいぜいゆっくり食べて、野菜いためかニラレバーいためライスか定食。夜はときどき先輩や仲間たちに誘われて飲みに行く。食べても焼きとりか焼き肉かおでんだ。たまには友達からの誘いの電話がかかってくる。材料を買って自分で食事を作るということが少なくなった。いつの間にか食べ物が偏ってきた。
しかも、スタジオや事務所の中は、外は木枯らしが吹いているというのに、セーターやブラウス一枚でも暖かい。ところが、蒸し返すような暑い夏でも建物の中は長袖の上着を着なければいられないような涼しさ。およそ自然とはほど遠い生活だった。こんな中で、早く一人前になりたくて仕事にのめり込んで、自分の体を顧みなかった私は、とうとうバチがあたった。体をこわしてしまったのだ。
入社三年目の夏も過ぎたある朝のこと。何となく体がだるくて起きられない。背中と腰が重く、全身が気だるくて、気力が満ちてこない。こんなはずじゃなかったのに、貧血でもひどくなったのかしらと思い、なるべく休みの日は仕事や友達との約束を断って、体を休めるようにし、それでも働き続けた。
ところが、冬に入ったある日のこと、風邪をひいて近所の病院に出かけた。尿検査をするからコップにおしっこをとってくるように言われた。コップにとった尿を見て驚いた。何と赤茶色をしているではないか。腎出血だった。すぐに入院。絶対安静だという。
入社して三年目を迎え、やっと一人前に何とか仕事をこなせるようになったのに、やりかけた仕事を途中で放り出すというのはたまらないことだった。しかも、半年続いた大事な仕事が、あと一週間で終わるというときのことだ。もう少しがんばってみようと思うのだが、医師から入院するように言われた途端、不思議なことにそれまで動いていた体が、鉛のように重くなって動こうとしなかった。
母に電話をした。すぐに帰ってこいと母は言う。
「東京なんか行かんでも、家の仕事をしりゃあええ。醤油屋をすりゃ一生食いっぱぐれはねえ。家にいても好きなことは何でもできる。わざわざ、東京で女一人で暮らすこともなかろう。長女のおまえが婿さんもろうて、家の跡をとらんと、家もおさまらんやろ」
東京で就職することに反対した父に反発して、
「自分の人生は自分で決めるわ。生きたいように生きる」
そう言って仕事に就いた私だったが、父や母に大見栄をきった手前、病気になったからといっておめおめと家へ帰るわけにはいかない。けれども、それ以上に、見渡す限り都会のコンクリートジャングル、見知らぬ人々の中で、いつ治るか知れない病んだ体を、病院のベッドにひとり横たえているのは、もっとたまらないことだった。
父や母に話して、家へ帰って休ませてもらおう。仕事を離れてもう一度、がむしゃらに過ごした七年間の都会の生活をふり返り、自分の生き方を見つめなおしてみよう、そう思った。
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