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■山崎洋子&一之 さん 
■長澤源一 さん ■梶谷きよみ さん


長澤源一 さん
京都市右京区
長澤農園

「私の有機農業」

1.動機

 約15年程前に、慣行農業(農薬、化学肥料多投栽培)に疑問を持ち始めました。ナスの場合、農業を1週間1回、反当500〜600リッター位散布した事もありました。カエルが腹を上にして、けいれんをする。ヘビが目をむいて、のびる。農薬散布後の野菜は、自家消費しない。などと、疑問や自問の日々でした。そして、農薬を減らした栽培をすると、虫や病気が広がり、卸売市場で買い叩かれる始末で、省農薬栽培を断念しました。その後、5年程経って、一つの転機が起きました。私自身が、ナスの農薬散布中に、2年続けて体調を崩し、医院で

毒の点滴を受けました。祖父の代からの主治医は、「此の様な事が生じる仕事は、もう止めろ。もし続けるならば、おまえの体に責任が持てないので、来院するな。」と、言われました。夏期のナス栽培を断念する事は、思いの外、難題で、思い悩みました。ナスの栽培では太秦の地は、京都市内の有数の産地で、我が家も親の代からナスが主品目でした。子供も幼く、仕事と体に自信を無くし、妻と、転職を含め種種相談し、将来に希望が持てなくなった時期でした。日々の暮らしがあり、何とかしなければならないので、背丈の高いナスから、背丈の低いネギや菜類を作り始めました。しかし、従来の慣行農業で、農薬散布も同じやり方で、自家消費もしにくい品を、出荷していました。自分の体を害し、自家消費も儘成らぬ野菜を作り、葛藤の毎日でした。

2.安全な野菜を作る

 「何が、自分を悩ますのか。生産者たる自分が食べにくい野菜を作って良い訳がない。自分が食べられる安全な野菜を作ろう。だから、農薬を止めよう。」こう簡単に答えが出てきて、無農薬栽培を決意しました。土作りを第一に、なるべく生態系をより良く。しかし、夏期は、菜の種を播いても発芽せず。害虫が多いので、土を焼き、ネットをかけても発芽せず。播いても、播いても、収穫出来ず。答えは簡単でも、結果は悲惨でした。また、春作、秋作も従来に比べ、これまた、惨憺たる始末。冬作のみ、七分作。此の様な状態が、二〜三年続き、家系は大赤字。でも、葉脈しか無いような菜を売り歩き、それを買って戴いたお客様に、励まされ、何とか続けてきました。四〜五年経つと、何とか八百屋に並んでいる野菜に近い品が、生産できるようになり、少し自信めいた気持ちが出てきて、「これなら売れる」と、思ったものでした。慢心の感が生じていました。

3.安全な野菜をより美味しく

 見た目は、慣行農業に近い作物が出来つつ、販売が伸びにくい。有機無農薬野菜が欲しいと、お客様は増えるが、三〜六ヶ月位しか続かない。何故もっと、売れないのか。安全な野菜が、何故。自問の時期でした。しかし、健康に良いから「長澤の野菜」と買って下さったお客様。「うちの子供は野菜を食べないのに、長澤さんのやったら食べるわ」また、「ネギは長澤さんのしか、子供は食べないの」とか、「トマト嫌いの亭主が、長澤さんのトマト、パクついてる」等、味についての評価や、特定な食物アレルギーなどの疾患をお持ちの方にも、評価を戴いたり致しました。そういえば、美味しい特定の野菜は、引っ張りだこ。まずい野菜は、売れ残る。「野菜は薬、健康食品ではない。食物なのだ。美味しくならねば。そして、尚且つ安全に」と思い、まるで、目から鱗がとれた心境でした。それから、この野菜は魚粕が良い。この野菜は油粕の方が美味しい。など、色々工夫しています。これから数々と思い悩みながら、研究を続けていきたいと、思います。また、息子に胸を張って、誇りを持って継がせられる仕事にしようと頑張っています。