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■山崎洋子&一之 さん 
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(6/16)

《出会い、そして再会》

「人生は味わって生きるもの」

 心も体も静かに休ませている間に、一つ一つの細胞の古い皮がむけて、少しずつ再生し始めたような新鮮な気持ちになってきた。しおれかかった植木が雨をうけてすくっと立ち上がっていくように、萎えていた心が生気を取り戻し始めていた。私は家の中で、生まれて初めて何にも縛られることなくぶらぶらと、本を読んだり、眠ったり、ときには屋根の上でギターをひいたり、絵を描いたりして過ごしていた。
 そんなある日、かつて牧場を開くからと、カンパを募り歩いて、仲間たちの前から姿を消した山崎君が、ひょっこりバイクで現れた。荷台には牧場でとれたという、大きな、形の不ぞろいのジャガイモを段ボール一杯積んでいた。
 今日は、晩方の牛や餌やりまでに帰ればいいからと、ジャガイモの箱を下ろす山崎君に、父はいいところへ来たとばかり、人手の足りないのをいいことに、車の助手席に乗せて醤油配達に出かけてしまった。
 にぎりこぶしのようなごつごつとしたジャガイモの皮をむいて家族の大好きなコロッケを作ることにした。父に母に祖母、そして私たち姉妹四人、そして店や工場で一緒に働いているおじさんと勤めの人、それに山崎君、全部で十人分のコロッケを50個作った。作りすぎて、疲れて座り込んでいる私の前で、大きなコロッケをほおばりながら、彼が言った。
 「体が治ったらどおするんだ」
 それが一番の問題だった。父が言った。
 「東京なんか行かんと、仕事なんかせんでもええ。自分の好きなことをすりゃいいから、家にいて、毎日、こんなうまいもん作って、お父ちゃんにも食べさしてくれや」
 父の目がやさしく笑っていた。
 自分のやりたいことが、ほんとうは何なのかわからなくて、自分がどんな生き方をしたらいいのか見えなくて、家の跡を継いで醤油屋をやるように言われることに反発して、父に逆らってばかりいた。
 「嫌やわ。お父ちゃんの言うことなんか聞いて一生送るなんてまっぴらやわ。もっとほかに自分に合った仕事があると思うし、納得できる生き方をしたいもん。もういっぺん、今の仕事やってみるわ。それで何も見つからんかったら、お父ちゃんの言うたこと考えるわ」
 母は傍らで私と父とのやりとりをはらはらしながら聞いていた。数年前から心筋梗塞をわずらっていた父には急激な感情の変化がこたえた。母には父を怒らせることがいちばん怖かったのだ。それを知っていながらも私は自分の心を偽って、父にうそを言うことはできなかった。音響効果の今の仕事が自分のほんとうにやりたい仕事かと問われてもわからない。うそも言えず、かといって馬鹿正直にもなれず、ただただあせっていた。
 日が落ちて、ジャガイモのかわりにバイクの荷台にはしっかりお土産の醤油と味噌を積んで、残りのコロッケをぶらさげ、帰り支度をしながら山崎君が言った。
 「きみはいったい、何をあせっているんだ。そんなに生き急ぐことはないだろう。人生はもっと味わって生きるもんだ。
 元気になったら、牧場へ一度遊びに来るといいよ」
 濃紫に染まった街並み、夕暮れの闇の中にバイクは消えていった。
 人生を味わって生きる、それはいったいどういうことだろう。自分の心に正直に生きたいとあせって、両親や周囲の大人たちと衝突ばかり重ねていた私の心に、その言葉は大きな波紋を投げかけていった。


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